ENGLAND
1998.7.24
Birmingham City Council バーミンガム市役所The Department of Planning and
Architecture,Birmingham
Mr. Geoff Wright 都市計画(都市中心部)の責任者
1950年代から1960年代は都市中心部をいかに変革させて来たかを紹介します。スライドを使いながら、どういう都市計画をして来たかを紹介します。
これはバーミンガム中心部の写真ですが、美しい都市とは言えません。20年前の写真です。
1950年代から1960年代に開発された都市中心部の名残といえる風景です。その当時の開発は、アメリカの真似事をした感覚でした。ですからどちらかと言えば、車のユースに焦点を当てた計画でした。
その結果として、都市中心部を大型高速道路が通っています。都市の心臓部に高速道路が走っています。車にとってはいい事かも知れませんが、環境上町を歩く人にとっては、最悪です。この悪いイメージをを改革し、都市を利用する人にとって良い都市にすることを試みて来ました。
過去10年間、都市中心部に焦点を当てて来たと言えますが、何故かと言う背景を説明します。バーミンガムの経済というと、具体的には自動車産業・自動車部品産業が基本となった都市でした。所謂、ローバー社、ジャギュア社の車の生産並びに部品が主な産業でした。
しかし1970年代から1980年代は非常に失業が多くなり、1971年から1986年までに製造業関係で失われた職が、20万人という大量になりました。従って、都市中心部に経済のエンジンと言える機能を再現することが必要でした。可能性としてはサービス分野が考えられました。
そこでバーミンガム市が、都市中心部に新しい雇用を導入しようと決定しました。今から紹介しますバーミンガムの物理的変革・変化は、都市が必要とした経済的必要性、雇用の必要性をバーミンガムに提供する事に基本を置いた変革でした。
1980年代にバーミンガムが認識していた事実は、バーミンガムは歴史・伝統の都市ではない事でした。しかしバーミンガムは、他の都市にない有利な点を持っていまして、それは地の利でした。バーミンガムは鉄道でも道路でも非常に出入りし易い土地です。イングランドの中心部にあります。南北を通す中心であり、会議場・展示会場・博覧会場という意味では、非常に優れた地の利を持っています。
1970年代の終わりから1980年代の始めにかけ、国際展示会場(National Exibition Center)をバーミンガム空港の近くに建設しました。NECはバーミンガムの外に位置していますが、非常に大きな成功を収めました。ですから都市中心部でも可能性があると考えました。ビジネス観光といった性格を生かす可能性がないかと考えました。
先程、高速道路が都市中心部を通っている写真を見ていただきました。それは環状線を作っている高速道路です。ですからビジネス観光を支えて行くためには、中心部に集中した機能を分散させようと計画しました。高速道路の周辺部を分野毎に分断させ、都市中心部=高速道路の内側、につきましては、環境問題を大切にする意見から、余り触れない事となりました。
しかし、余り魅力的でない建物が沢山建っていましたので、そういった物は取り壊し、より良い環境を提供しようとする考えからいろいろコンサルタントを使い、如何に開発を進めるべきかの考え方を固めていきました。いろいろ大きな問題もありましたが、それを乗り越えながら進めました。
先ず都市中心部のデザインの構想を掲げました。それが青写真となり、ふさわしい建物の高さなどが決定されました。更に運河のネットワークもありますので、それも大切にしながら周囲にある建物も景観維持しながら如何に開発していくかという課題がありました。
いろいろなアドバイスを受け、バーミンガムPlanと呼ばれるマスタープランを決定しました。都市中心部戦略1987というマスタープランが仕上げられた分けですが、その重要な要素としては、関係する都市の中で重要な地位を占める事、建築の質が非常に高い事、複合多目的な省を促進する形である事、等でした。
先程アメリカの真似をしたと言いましたが、1つの機能でしか使えない建物が余りにも多いので、多目的で使える建物を考えました。例えば、6時になりオフィスが締まり、お店が閉まると死んだ町になってしまい、青少年の非行が生ずる町となる要素が生じます。だから各種の活動を混在させようとしました。ですから24時間中、誰かがどこかに居る町、週7日間生きている町を作ろうとしました。
都市の中心部へのアクセス機能を先ず向上させるため、環状高速道路の問題を解決しなければなりません。8.5マイルの高速道路には、53の地下道がありました。高速道路を取り壊し、再建する事が必要でした。道路が町を支配するのではなく、ここのような町では環状道路の内側は賃貸料が高く、外は安い状態でしたが、高速道路を潜って渡らなければならなかったからです。ですから女性には非常に不人気で、安全性に欠け、車椅子も通れず、乳母車を押している人は渡れない、不便なものでした。この解決策の第1歩として、車を下に通し、その上に路面の高さで橋を架けることを考えました。
そして都市中心部に展示会場を建設する構想がありましたので、歩行者が簡単に入れることなしに、コンベンションセンターは都市の一部として作れません。このコンベンションセンターは都市中心部の機能を調和しなければなりませんでした。そうすることにより、10年前は都市中心の意識のなかった場所に展示会場ができました。コンベンションセンターにはコンサートホールもある有名な建物ですが、これが市により建てられました。その工費は1億8,000万ポンドでした。その費用の1/3はEUが援助金として出しました。つまりバーミンガムの都市開発のカタリストとして機能し、コンベンションセンターが核となって更なる開発を促すために作られました。
初めからそういった物を建てても経済的な利点・収入はたいしたことはないと考えていました。しかし開発を促進するための中核的役割、機動力としての重要性は認められていました。そしてこのコンベンションセンターが提供する機能が、バーミンガムに注目させる機能を持っていました。
2週間前にG8のサミットが開催された場所でもあります。日本の首相も出席されました。この建物にはコンサートホールもあり、バーミンガムシンホォニーカーケストラが演奏会にも利用し、ビジネス観光だけではなく、文化的側面からバーミンガム市民への貢献も大きなものでした。この建物には、一般市民にも通行権が認められている通路があります。ですから我々としては、主要な建物はここに住む人々の日々の生活と関連させるものでなくてはいけないと思います。バーミンガムの人々の生活が高揚できる機能を持つものでなければいけないと考えます。なぜなら市民が支払ったのですから。こういったコンベンションセンターの開発はそれで終わらず、関連する建物も出来ています。
隣りは、ハイアット・インターナショナル・ホテルでコンベンションセンターとブリッジでつながっています。でもあの橋は無駄遣いでした。なぜならホテルに泊まるVIPは市民に見られるよう、見られる事が重要ですから、下に降りて歩くからです。そしたブリッジを使わないのです。政治家は、赤ちゃんを見るとキスをしてあげることが大切な行動となっていますので、橋を渡ってはいられません。
建物の前には広場もあり、憩いの場を提供しています。広場には芸術作品や、噴水があります。EUからの都市開発援助金が出た時は、工費の1%は市民のための芸術に使う定めがあったからです。コンベンションセンターを中核とした周辺の開発が土地を買収する事により出来ましたが、市としてはその他の地域にも開発しようと計画をしていました。
いろいろな開発をするために、市が持っている土地を業者に売り、開発させる事をしていますが、どういった開発かということは、市が機能・概要を指定します。ですから開発業者は、どういう使用・用途の建物をどうやって建てていくかという指示を市からもらっている事となります。
このケースは昔の運河を憩いの場として利用しています。公共部門はコンベンションセンターを建て、その他の開発は業者に土地を売って開発をさせました。100万平方ftにも及ぶオフィス開発は質も高く、テナントも室の高いものを引き付けられました。
市が開発業者に示したスペックには、観光要素も入っていました。複合した活動を提供しなければなりませんのは、複合機能の内観光機能です。更に水族館も建て、人を引き付けました。都市中心地に、かなり魅力的な住宅開発も業者がおこないました。
しかし開発業者としては、当初、やりたくない開発計画でした。しかし市は、住宅提供は必須な要件として要求し、許可する条件としました。なぜ開発業者が乗り気でなかったかといいますと、イギリスには伝統的に、豊かな人は都市の郊外に住む傾向にありましたからです。しかし我々としては、豊かな人も都市の中に住める環境を提供したいという考え方からこれを主張したのです。そしてこの魅力的な環境を提供したら、豊かな人もちゃんとここに住み着き、計画が実現しました。そして開発業者はこの成功に学び、今では同じような中心部の土地を買い、新しい開発に着手しています。更に業者には、屋内アリーナの併設が義務づけられていました。
これまでの話しは、コンベンションセンターを中心としたその周辺の開発の状況です。主要なオフィスはリングロードの中にあります。新たに開発したコンベンションセンターと昔からの伝統のある都市中心部とをいかに魅力的な歩道機能でむすぶかが大きな課題でした。オープンスペースを提供する事により、又広場を作る事により、より室の良い歩道で接続するかを試みています。
これは5年前の写真で、既に広場として存在していた所もあります。余り魅力的ではありません。これは全て歩行者天国にしました。車が入れないようにしたのです。そして魅力的な広場に変えました。ですからここを通して、昔からの都市中心部と新たなコンベンションセンター部分とを歩行機能で結んだのです赤い所はビクトリア広場で、都市中心部とコンベンシションセンターを結ぶ働きをしています。両方から人を呼ぶ磁石の機能をしています。
後ろが市役所の建物で、ビクトリアスクェアーの開発状況が分かっていただけると思います。一般市民のための芸術作品がおかれています。いくつかの芸術作品は、皆の好みという分けではありませんが、ビクトリア広場の接続機能だけではなく、他の道路も同じように改善していかなければならない事を認識していました。これは都市中心部の目抜き通りですが、中心部の道路としては、環境的にお粗末で歩道が狭く、バスのために環境は悪いのです。同じ通りですが、バスの乗り入れをやめ、新たな植樹が行われ、道路の縁にいすを置き、改善した場所です。このように歩行者天国にすることにより、周囲の空いていた建物にテナントが入り、歩行者が50%増えました。
他の場所でもユニークな開発を試みています。訪問者を引き付ける開発を行って来ました。その1つはサイエンスパークです。これは大学と関係性を持たせたサイエンスパークの開発です。サイエンスパークとは通常は郊外の緑地帯にあるのが普通ですが、都市中心部にあるサイエンスパークとしてユニークな存在です。
19世紀から宝石関係の製造で有名な場所があり、人が集まるとジュエリー効果と言っている場所です。こちらは劇場のある場所で、ヒプドラムという劇場があります。どの地域の開発にも言える事ですが、
古くからある運河が無視されていましたが、それに焦点を当てて、命を与える開発が行われています。川がなくても運河がありますから、運河を利用してより良い環境を作る事を考えています。公共部門が先ずインフラ投資をすることから始めました。民間部門の開発を促進するための、起動させるための手始めとして着手し、その後民間業者が開発を行います。
そして今我々が問い直さなければならない事は、成功したかどうかです。
この建物は元々古いものですが、外装を保護・維持しながら、後ろに新しいオフィスビルを建てました。今30%のオフィスの成長率を示しています。だからオフィス部門では開発が成功しました。古い建物は保護して行く反面、新しい建物はモダンな機能を持つものです。
小売店・デーテール部門も成長を示しています。歩行者天国なって質の高いお店が出店した所です。中心部におけるデーテールはまだまだ問題を抱えています。オフィス部門が成功し、デーテールもまあまあですが、まだまだ問題は多く残っているのが現状です。
1950年代1960年代にアメリカの真似をして建てた大型開発が町の中に存在しています。環状線の中にあるブッテングというデーテール分野は悪名高く、質の悪いショッピングセンターのレッテルが貼られています。これをいかに再開発して行くかの構想モデルが、これです。
ここを開発する時、高速環状線に対処しなければなりません。しかし市には、もうお金がありません。従ってインフラ工事も市が指定したように民間の開発業者にやらせます。
他のデーテール分野の場所として注目されている所があります。高速道路の形態を変える事により、外へ大きく開発を拡大できる要素を持たす事が出来ます。
今民間部門が活発に開発を行っているのが、都市知中心部の住宅です。都市中心部の店舗の上の住宅開発です。日本でもヨーロッパでも珍しい事ではないでしょうが、イギリスでは余りなかった事です。皆さんに追いついているのかも知れません。
他方、昔の産業用・工業用地といわれていた地域でも、住宅開発が行われています。ここでは住宅環境をより良いものとして提供するならば、人はそういった所に必ず住んでくれるという証です。昔は豊かな田舎に住んでいた人達が、都市に住み、通勤に長い時間をかけるのを避ける事が出来ます。以上はバーミンガムの中心部の一部分の話です。
バーミンガムの東でも大々的な開発が計画されています。リングロードを地下に埋めるようにし、都市中心部を再開発し、更に開発が都市の外へ拡大して行く構想です。創造的未来図ですが、さまざまな機能を取込んだ計画が考えられています。バーミンガムの東側は、コンベンションセンターの逆側になりますが、2000年記念の建物が建てられつつありますが、コンベンションセンターの様にカタリストの機能を果たしながら、周囲の開発を促進する事が期待されます。この記念のミレニュアルポイントと言っている建物は、宝くじの収益を、(イギリスでは国の開発、芸術に使う事となっているのですが、)その資金を利用して建設しています。更にここはハイテク科学の分野で人を引き付ける機能をもつ建物の開発となります。科学は博物館の機能を持つ事ととなるでしょう。
ヨーロッパの中でも、バーミンガムは大きな都市と言えますが、電車がない都市です。電車のない町としては、バーミンガムは超大型都市です。今秋導入されます軽鉄道が電車の機能を果たすものの位置が示されています。これもヨーロッパの伝統的な電車のある町に追いつく事になるでしょう。
私は今まで、物理的側面についてお話しましたが、その内実、機能を提供する事が重要です。市は物理的建物を提供するだけでなく、文化・質の高い行事・芸術関係のイベントを招く等の事業も行って来ました。今ヨーロッパで最も人気のあるイギリスの指揮者、サイモンガトルを招いて、コンサートも行っています。バーミンガムのシティーオーケストラは市がかなり援助している楽団です。この楽団の高い質でいろいろな人を招く事が出来る楽団です。ロンドンのジャズクラブで、ウィンスコットというのがありますが、それと同じようなクラブも今こちらに沢山できています。イギリスで最も有名なキャロラーズウェルズというバレー団が、バーミンガムに引っ越して来ましが、市が勧誘しました。主要な文化遺産として、市が提供・高揚する文化機能です。質の高いシティーセンターを造るつの要素と言えます。
1998年バーミンガムがハイプロパージュの都市として、G8サミット、ユーロビジョンのコンテストが行われ、ライオンズクラブの会議には1週間で5万人が集まりましたが、これら全てが1ケ月の内に全部が起こりました。過去10年間の努力が、今やっと実りました。
住民の意向調査は行っていませんが、毎年地方選挙があり、それを参考にしています。